割石(わりいし)

割石(わりいし)

割石のイメージイラスト

昔、冠川(かむりがわ、いまの七北田川)に堤防を築くとき、新田(にいだ)を通りかかった女の人を捕えて、人柱(ひとばしら)にしてしまいました。その後、人柱にされた女の人の幽霊が毎晩現われるようになり、人々は幽霊の泣き声を恐れて堤防に近寄らなくなったのでした。

この噂を聞きつけ、とある侍がやって来ました。侍は幽霊が現われるのを待ち、現れるや刀で斬り付けます。手ごたえがあって、幽霊は姿を消しました。翌朝、侍と村人が幽霊の出たあたりを見てみると、大きな石が二つに割れていました。以来幽霊の泣き声は絶え、その石は割石と呼ばれるようになったといいます。

いまでも、新田の七北田川堤防下に「割石」と呼ばれる供養碑が残っています。この供養碑は元応元年(1319年・鎌倉時代)と記された碑が二つに割れたのち、貞享2年(1685年・江戸時代)に文言が追加で掘られたことがわかっています。