念仏橋(ねんぶつばし)
念仏橋(ねんぶつばし)
八幡(やわた)より笠神(かさがみ)に向かって進むと、砂押川に架かる橋に至ります。この橋は「念仏橋」とも「お菊橋」とも呼ばれていました。
念仏橋と呼ばれるようになった由来は、こんなお話しです。
砂押川に架かる橋は、その昔から津波のためにたびたび落ちてしまい、村人たちは通行に難儀していました。しかし、老婆たちが十年間も念仏修行をして願を掛けたおかげで、りっぱな橋を架けることができたそうです。江戸時代の享保年間(1716~1736)のことといわれています。以来、この橋は念仏橋と呼ばれたそうです。
お菊橋と呼ばれた由来も伝えられています。
ずっと昔、お菊という下女が、罪に置かして主人に殺されてしまったが、橋を渡る者はこれを憐れみ、念仏を唱えながら橋を渡ってお菊を弔ったといいます。それでお菊橋あるいは念仏橋と呼ばれるようになった、というものです。
また、大代村(おおしろむら、明治22年に合併して多賀城村になった) の記録をまとめた書物には、「みたらせ橋」とも呼ばれていた、と記されています。